僕は生粋の大阪人、ということになる。
大阪市内に生まれ育ち、今も住んでいる。


中学は地元の下町の公立に行った。
商売人の子どもが多く、そういう子は荒っぽかった。
僕は運動オンチでガリ勉で、かつ真面目だったので、当然イジ
メられた。


しかし今。サラリーマンとして商売をしていて思うのは。
優等生の僕が知りえない「商売(=社会)の厳しさ」を彼らは
教えてくれたのだとも思う。


高校は大阪府庁の隣、大阪城の真ん前の学校。
当時は在学生の9割が大阪市民だった。
「ザ・大阪」な場所だ。


高校で良かったのは、大阪市の地域別の風土が大体分かったこ
とだ。
○○区は工場が多いから××云々。
大阪をまた深く知ることができた。


大学もこれまた大阪市が作った某大学へ。
いわゆる「左」の学校で、被差別部落や在日の問題に詳しくな
った。
下宿生などから「外から見た大阪」の話もたくさん聞けた。


…ということで、ここまで「ザ・大阪」な人間は僕を置いて他
にいないだろう。
しかし、どこか「他人」のような感じだった。最近までは。


こんな僕が就職したのは「京都」の会社だった。
フィーリングで選んだが、もう4年半ほど居座っている。
基本的に僕は自分の会社が好きだが、「ぬるい」という印象は
否めない。


一言で言って「商売」に徹し切れていない。
僕の中で眠っていた「大阪人」の感覚からいくとこうなる。
ブランド名に頼る営業。コストカット意識の低さ。
従業員を「仲間」として扱う気風は好きなのであるが。


僕は今、自分の会社の良いところを「大阪人」に売り込む仕事
をしている。
会社も「ザ・大阪(=異物)」としての自分を買ってくれてい
る。
皮肉なことに、京都の会社に入ることで、「大阪人」の自分を
僕は再発見したのだ。


会社の体力的に、大阪で戦い続けるのは絶望的である。
今の自分は「撤退戦の殿(しんがり)」を務めているという感覚。
上手く「負け」、本隊の被害を最小限に抑える仕事。
攻勢に持っていくことも睨みつつ、いつでも退けるようにもし
ている。


もし、大阪からは全面撤退すると言われたとき。
「大阪人」になった僕は大阪を捨てられるのだろうか。
…わからない。