紫陽花といえば、相方はカタツムリと決まっている。あれは、小学校2年生の時だった。親たちからも生徒達からもウケが良かったY先生が、理科の授業中にこう言い放った。「紫陽花とカタツムリの王国を作りましょう!」と。

まだその頃、澄んだ瞳の持ち主だったヲレは、完全にそれを真に受けた。ヲレは、8人ばかりの同志をスバヤク集めて、行動に移った。紫陽花は、すぐに見つかった。集団登校の集合場所に、その紫陽花はでんと存在しており、なかなかに目立っていた。これで領地は確保できた。

あとは、そうだ、カタツムリだ。

その当時から、ヲレの少人数集団を率いる指揮能力は抜きんでていた。たちまち同志たちは、カタツムリ狩りのプロ集団へと変貌を遂げた。その採集能力は、明らかに小学生のソレではなかった。個々は訓練された兵士であり、かつ組織的な行動で、次々にカタツムリを捕獲していった。新幹線で売られているお茶の空容器をメインの武器にしていた事をハッキリと記憶している。350mlほどの体積ぎっしりにカタツムリを詰め込んだ。
そして、王国の本拠地である紫陽花に次々に放っていった。ヲレ達は建国に燃える同志である。士気は非常に高い。疲れも飽きも感じる事なく、2週間以上に渡って紫陽花へカタツムリを放ち続けた。

当然の結果であるが、紫陽花はどす黒く変色し、腐った。おかしい。何が悪かったんだろう。

ヲレ達は夢の舞台を、学校に移した。これでY先生にも見せる事ができる。ヲレたちの暗躍は再開された。

再び紫陽花はどす黒く変色し、腐った。

放課後。ヲレ達は唐突に、Y先生に集まるように言われた。おそらく、次の指示を頂けるに違いない!やったぜ!

何故かそこには、Y先生だけでなく、見慣れたオトナが1人いた。ヲレの母親である。母親は、涙目になりながらヒステリックに叫んだ。なぜ紫陽花を枯らしたんだ!と。ヲレは弁明した。なんだ、なんだ。それは違う。枯れちゃったけど、枯らそうとしたんじゃない。王国を作ろうとしていたんだ、Y先生に聞いてくれ。

Y先生は言った。「王国を作るなんていう馬鹿げた指導はしていない」「baja君は変わっている子だから、時々このような事を言い出す」え?

激しい叱責が2人のオトナによって開始された。ある同志はごめんなさい!と大声で謝り、ある同志はひっくひっくと泣き出した。次々に敵に魂を売り渡す同志達の中で、決して謝らない少年がいた。ヲレだ。初めて知ったケンリョクとの戦いだ。果然、奮い立った。これは国防だ。最後まで王国のあるべき姿について、話し続けた。

帰宅したとたんに、母親の剛腕が唸りをあげた。ついにテキは武力介入してきたのだ。ひとしきりの平手打ちの後、母親は「もう解ったわね?」と優しく聞いてきた。武力を盾にした外交である。これは完全に、かのケチャップ国のやり口である。もちろん、謝らなかった。再び、剛腕が唸りをあげる。

父親と祖母が帰宅してきた。なにやら、オトナどうしでの話し合いがはじまり、父親と祖母が加わっての攻撃が始まった。どうやら国連安全保障理事会によって多国籍軍による攻撃が認められたようだ。ヲレは決して屈服しなかった。戦う武器はなかったので、「視線」で戦った。殴られても殴られても、傲然とオトナたちを睨みつけた。今から思えば、あの壮絶な暴力は、明らかに体罰の域を軽く飛び越えている。

このオトナとの戦いは、ヲレが19歳になってとある専門学校に行く頃まで続いた。写真の紫陽花は、去年、件の専門学校で撮影した。そして、唐突にこの話しを思い出したのだ。