大体、広場っていう概念が無かったんだろうから仕方無いとは思う。
思うけれど、よ?
ハトの糞まみれになった悲しそうなライオンが、
他にこれといった仲間もなく噴水の中に佇んでいるのだよ?独りで。
噴水の水はもうとっくに止まっている。
アホ面した高校生にコイツ全く意味ねぇしとか言われなくたって、
そうして存在していることを誰よりも自分自身が呪っているかのような、
そのライオンの目線が悲しくて、
絶対に目なんか合わせるものか、と繊細な私は感じてしまうじゃないか。
せいぜいアホ面下げたサルに向かってお前が意味とか言うなかれって、
そう毒づくくらいしか出来ないじゃないか。
誰もライオンなんかの前で待ち合わせしない。
当然だ。駅の某口駅前ロータリーのど真ん中に存在しているのだもの。
横暴なタクシーやらヴェリーファンシーなシルビアとかに轢かれる危険を冒してまで
そんなロータリーの真ん中のライオンに近づく奴は、誰もいない。
気付く奴すらいない。
ロータリー?じゃとりあえず噴水でも、というのは、
でっぷりした中年オヤジが「とりあえずビールGoしちゃう?」って言ってるくらいに
底抜けに脱力感漂いはすれども何となく理解だけは出来るのだが、
ライオンは?
どうなのか?
そもそもライオンは食物連鎖の頂点に立つ肉食獣だ、
誰でも気軽に飼ったりもふもふしたり出来る動物ではない。
そういう大型肉食獣のブロンズを置く、ということは、だ。
素人が気軽に立ち寄ってもらっちゃ困るねぇ的な意図があると思うのだ。
目的は、威嚇以外の何でも無いと思うのである。
こんなものを駅前に置いたらその町は廃れるに決まってるじゃないか。
だから本当に、その町は今、いや昔からとんでもない廃れている。
ライオンは目的を果たしたのであろうが、今や人間以下の奴にもスルーされ、
変人にしか目を付けてもらえない悲しい存在となった。
的外れではあるにしろ、
そうした、設置した目的を既に全く果たさなくなったものや、意図と真逆に働いてしまうものに、
どうしても私の目線は注がれてしまう。
それが生き物の形状をしていればなおのこと不憫で、いたたまれない気持ちになるのだ。
ましてや駅前だ。
他にも、ちょっと気にし出してみればあちこちにいたではないの不可解な駅前オフジェ。
これといって理由もなくただ空間を埋めるためにある、みたいな。
じゃあ、理由あってそこに存在するものならば悲しくないのかと・・・、
例えば、その地の名産品とか歴史上の有名人物とか、もっと解りやすいもので。
そう考え、知る限りのそんな景色を思い浮かべてみてはみたものの、
ダメだなやっぱり。やはり耐え難い痛みを伴うモノの方が多い。
彫刻の森美術館の映像を見るだけで無性に戦車で更地にしたくなる衝動に駆られる、
そんな私だから感じる苦痛では無いはずだ。関係無いよだ。
この国に無限に広がる虚しさ・・・、そうだ駅前だったな、駅前に限定しよう。
要するに、
存在の理由なんて有ろうが無かろうが良いのであるが、
選ぶ知性感性の無さを暴露しちゃうような恥ずかしい事を堂々とやらんでくれ、と思うのだ。
駅前なのだよ?
望む望まないに関わらずその場所を通過することを余儀なくされている人がいる場所なのだ。
視覚的にキビシイのみでなく、心が胸が痛いよ父さん、って人だっている。
例えるならば私。
「胸が痛い胸が痛い胸がっ、胸が痛い胸が痛い胸がっ、苦しい苦しい痛い痛い痛い」
とその場で歌い出してしまい、気が付くと救急車の中だったりする。
或いはそちらを絶対に見ないようにと強く意識するあまりに首筋を違えてしまい、
「見てんじゃねぇよババァ」と見たくも無い10ミリアイライナーの金髪女子に因縁付けられて殴打され・・・、
或いは目を瞑って歩いたがために上下スウェット姿のドライバーの運転するファンシーなアリストに・・・。
やはり気が付くと救急車の中だったりする。
結果、他にもっと世のためになるであろう救える命を奪う危険だってあるのだ。
駅と言う駅が見えなくなってしまった今、駅前には痛みが溜まる。
そんな広場とか、そんな公園とか。そんな駅前とかに、
ライオン。
何十年も前、ヴェルサーチやドルガバみたいに選ばれてしまったのか、
糞みたいな知性と感性に。

今でもあのライオンは独りで在るのだろうか?
確かめる勇気すら無いが、悲しいよ。せめて虎にしてくれ、虎。もしくは鶴。もしくは鹿。
もしくは鯨。ハト。亀。ヘビじゃ駄目だが、龍。二宮金次郎も可だろう。ハチ公もいいさ。
でも、日本で存在して良いライオン像は三越前のライオンだけ。
あれは立派にその目的を果たしているだろう。少なくとも私に対しては。
そう決めました。