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譲れないモノ。
それはコダワリだろうか、プライドだろうか、それともセイギ?
そんな壮大なものを保ち続けるだけのポテンシャルエナジーがあろうとなかろう
と、
セイギでもプライドでも、コダワリですらない譲れないモノは存在する。
それは、習慣である。
心の物理法則。
日々の生活の繰り返しの中で生まれる習慣という名の慣性の法則。
傍から見ればどうでもよく、
そうであることに合理的な理由もない、
「いつもそうしているから」というだけで続くモノ。
たとえば、そのコップをしまうのは戸棚の右側か左側か、みたいに。
けれども、
”ヒト”として生まれながら”人間”として生きる以上、
残念ながら他人との摩擦や衝突によってその行動を変化せざるを得ない。
その変化の方向性に正当な理由があれば、感情としては不満でも理性で納得でき
るが、
大概は積極的に譲るほどの理由もないうえ、どうでもいいことほど衝突頻度が高
くなる。
コップの置き場が右側のままでも世界は滅びないし、
左側に変えても世界が救われることはないのだ。
けれども、右側に置いていた人がふと手を伸ばしたとき、空気をつかむことにな
る。
同じひとつのコップを右と左に同時に置くわけにはいかないから。
(割れば置けるという案は、コップの機能が果たせなくなるので却下)
そう、同時に存在はできない。勝つのは片方だけ。
そして今日もどこかで、譲れないモノのためのミニマムな戦いが始まる。
・・・・・・あなたの伸ばした手の先に、いつものコップはありますか?