僕はピンチに出会ったことがない。
たぶん、「ピンチ」だと判断するセンサーが壊れているんだと
思う。




恥ずかしい話だが、小中学校のときはいじめられっ子だった。
それも相当な。
朝通学したら、お道具箱を破壊されていたりとか、物を隠され
るのは日常茶飯事。自分がやっていない「いたずら」の責任を
なすりつけられたこともあった。




中学が一番ひどかった。自傷癖があったし、精神的にあそこま
で追い込まれていたことは今まで生きてきてなかったと思う。




幸い勉強は出来たので、地域でナンバー1の高校に進学。今で
こそ実績が下がっているが、歴史があり、近所のじいちゃん・
ばあちゃんからは「神童」として拝まれたりする学校である。
そこからは、浮き沈みはありながらも、楽しい日々が続いた。




大学では極度に人間関係が悪くなった(自分で悪くした面が大
半だが)ことと、21歳にしてカツアゲに会い袋にされたことが
あったが、まあ、別に「ピンチ」とは認識しなかった。




僕はもう壊れているのだ。たぶんどうしようもないくらいに。
実は、いつ死んでもいいと思っている自分がいるのである。




中学の時、いじめっ子は言った。「お前は先生が『死ね』と言
ったら死ぬのか」と。僕は迷わず「うん」と答えた。いじめっ
子は気味悪がってもっと僕をいじめた。




会社で働いていると、上司から怒られたり、顧客からクレーム
が来ることがある。怖いとは思うが、死んだら許してもらえる
だろう、とどこか心の底で考えている。ひどく冷めた自分がい
る。




生きるということは虚しいことである。
エヴァがいまだに僕にとってリアルであり続けるのは、生きる
ことの虚しさと、しかしそれでも「人として生きたい」という
どうしようもない人間のエゴが描かれているからだと思う。




この僕の精神状態がピンチなのだろうか。
どうしてもっと前向きに、「ピンチ」を見つけたり、楽しんだ
りできないのだろうか。




「死にたい」のではない。仕方なく生きているだけ。
だけど。どうせなら、人のためにこの命を使いたい。




ひだまりスケッチ」というマンガがある。
この作品で、文化祭で書く絵のテーマを決めかねて出遅れてい
る女の子が、「文化祭の準備をしているクラスメート」を書く
という発想にいたる話がある。




この少女の気持ちに僕はものすごく共感した。




自分なんてちっぽけで、大した事ない人間で。
みんなは一生懸命だけど、自分はグズでのろまで。
だけど。だけども。その人たちを応援することはできるのでは
ないか。




…そう気付いた時から、僕は見える風景が変わったように思う

「主体的に生きる」とは、何と難しいことか。
ふとした瞬間に、「絶望した」自分に逆戻りする。




全てを他人事にするのは楽だ。
だけど「生きてる」実感は得られない。
「ピンチ」をしのぎ、「チャンス」をモノにすることも出来な
いのだ。




そういうわけで。
「ピンチ」がたくさんある人は「チャンス」もたくさんある人

自分もそういう人でありたいと思う。