勿論、50年前のそれと今のそれとでは大きな違いがあるのは当然だが、
今、大抵の国の大抵の「ハレ」が手に入るこの国において、
それはどんなもののことを言うのか私には良くわからない。
わかるのは、それが以前より個人的なものになっているということくらいだ。
かつてのそれなんかは今や、非日常だろう。
かつての「ハレ」は今じゃどう?
そうだ、そうかも知れないのだなぁ、と、
そんなことを考えていたら突然、

「葉山シーサイド神戸牛ベリークール!」

って何の脈略も意味も無い言葉が浮かんでしまい、突然私、困る。
しかも食べ物だ。もう食べ物に限定している私がいる。
突然って言ったけれど、それウソ、実は突然なんかじゃない。
先日食べた100グラム数千円の肉を思い出したのだ。
葉山のそれには悪いが、比べ物にならないその味を、
しばらく、いやもう二度と食べられないかもしれないけれど、願わくば・・・と、
そう思っていたら思い浮かんでしまったのよ。
え?なんだかお題と逆じゃん、と思う。
思うけれど気に入ってなかなか頭を離れないその言葉、困ったの。
しかし、戻らなければ。

「ららら あなたの『け』ならば 神戸牛
ユニオン ガーデン 紀伊国屋
我要黒毛!
熱烈歓迎黒毛!」

・・・戻ろうと無理しすぎた逆効果ってやつ?
更にヘンな曲とダメダメな詩が浮かんで止まらない。 
きっと足りないのだろう、睡眠が。

「人の懐 さぁ レッツゴーレッツゴーレッツゴー」

って私はそんな嫌な女じゃない。違う。
きっと足りないのだろう、美味しいお酒。            

「日本列島総神戸牛で相ファック」

って正しくは神戸ビーフというのに。
ダメだ、「ギュウ」って響が離れない。
きっと足りないのは、“気持ちさえあれば”ってやつ。

「交配交配 ミリオンダラーベイベ」

足りないにしても程があると思う、でも確かに足りてないのだ、
“菫ほどな小さき人に生まれたし”ってやつが。

要するに、
ハレがハレであるために、日々の「ケ」をケらしくしようということだ。
個人の範囲で。
でも、ね。
ケで神戸ビーフなんか食べていたら貧乏女にタカられちゃう、
そんな戒めなのだろう。
毎日お酒なんか召し上がっちゃってまぁあなた、
ってことなのだすみませんだ。
まぁそういう注意を促しているということで。
ハレはハレらしく、神戸ビーフもいいけれど、
ぷりぷりの刺身でも食べようよ、と。
守ろう日本の食卓!と。
そういうことかもしれないね。