「お月見しません?」なんて簡単に良く言えるものだと私は思う。
余程皆さんタフ、頑丈なのだろうな。
月なんてまともに長時間眺めるもんではない。
私がまともに「ああ美しいねサンタマリア」と眺められる月は、
三日月くらいのものだろう。
三日月くらいが、ちょうどいい。
三日月って言えば、あれは、ニヤッと見えるし、
ネコの爪みたいにも見えるし、
そのネコの爪が黒い布を引っ掻いて出来た裂け目にも見えるし、
だから、夜ってのは本当は無くて、
実は黒い布で太陽の光を遮ってるだけだと、
子供の頃必死に信じようとしてましたか?
話を戻そう。
いわゆる月見シーズンの中秋の名月に限らず、
美しい満月を私はまともに眺められない。
月見は月満。
本当に狂ってしまうのである。
妹もそうであった。

姉妹がそのヘンな性質を知ったのは、
姉(私)が10歳、妹が8歳の時であった。
夜中、何時頃かはわからないが、
家族が寝静まっていることから多分夜中なのだろう、
その夜中に姉は突然目を覚ます。
カーテンの隙間から差し込む月明かりをぼんやりと眺めているうちに、
ベッドをそっと抜け出し、窓際へ行き、カーテンを開けてしまう。
金属バットで打ってみたくなるような見事な冴えきった満月を見た途端、
姉は迷うことなく窓を開けた。
もうガマンできませんよ、という思いで。
と、そのとき同時に隣の部屋の窓も同じように迷い無く開き、ぎょっとする。
妹も、同じことをしていた。
二人して、少しも驚くことなく顔を見合わせる。
何も喋らず「にーっ」と笑みを互いに送り、迷うことなく同時に、
それぞれの部屋の反対側の窓から裸足で屋根に出た。
こちらの窓は庭に面しており、明るすぎる庭園灯に月明かりが負けている。
姉妹はお揃いのネグリジェを着て、裸足で屋根を歩く。
靴を取りに戻ろうかと一瞬思うが、
玄関へ行くまでに立てなければならない音の数々を思うと、
迷うことなく二人は裸足で屋根を歩き出したのだ。
道に面した塀に飛び移れる場所まで歩き、そっと飛び移り、そしてそっと道に下りる。
街灯ひとつない小さな里山の風景に、二人して顔を見合わせてそして・・・、
そして思わず笑い出したのだ。
もうガマンできませんよ、と。
そこで初めて姉妹は声を立てたのだ。
迷うことなく、歩き出す。散歩だ。月明かりの散歩。
冷たいアスファルトがどうしようもなく心地よくて、時々キャッキャと笑った。
もうガマンできませんよ、と。
会話はほとんど無く、時折それぞれの好きな歌を口ずさみ意味も無く跳ねた。
歌を口ずさみながら、
もうガマンできませんよ、と笑った。
歌いながら笑った。
笑い歌い、歌い笑いながら、二人は月を見ない。
ただ道に黒く踊る自分たちの影を見ていた。
そして、その踊る影たちの、思っていた以上の濃さにハタと気付き、
家を出てから初めて二人は立ち止まる。
そして同時に、「ほら」とか「あれ」と言いながら、
初めてまともに月を仰ぎ見た。
空が落ちてきた。
逃げ場所を探す時間も無いくらいの勢いで、空が落ちてきた。
「怖い」と二人は一瞬思う。
「月が落ちてくるぎりぎりまで逃げないよ」と妹は言ったけれど、
姉の方は、「うん」と言いながら、妹より先に月から目を逸らしていた。
姉は怖かったのだ。
私はいつかあそこに帰らなければならない、と・・・
笑うな、私じゃない。
成長するにつれ何となくそれを理解していたかぐや姫の気持ちとは、
こんななのかな?と子供心に思いつつ、急に怖くて淋しくなった。
アタシも3ヶ月で大人になってしまえばよかった、と姉は思っていた。
そのとき、妹は何かを待っていて、姉は何かを恐れていた。
周りを見渡す。
いつも見慣れている風景。
外から来た人は必ず羨ましがるが姉妹にとってはあまりに当たり前なその風景を、
月明かりの下にて見れば、
美しいなりにも必ずある見たくない日常のがさがさを見事に隠した、
完璧に近い風景がそこにある。
その全てをしっかりとまとめるかのように月明りに君臨するのは、
姉妹が勝手に「天狗山」と名づけたなだらかな杉の山のてっぺんに
独りでそびえる海賊帽子をかぶった見事な一本松だ。
これら全てに10センチほど積もった雪を乗せれば、完璧だ。
「雪が降ったら、またやろう」
姉が言うと、
「部屋に長靴だけは持ってこなきゃだよ」
と、妹が返す。
いっせいに音を立てた稲穂に急かされた二人は、同時にくるりと踵を返す。
歩き出すと、止まっていた時間も動き出し、愉快にまた歌い、笑い、
飛び跳ねながら帰った。
塀に登り、屋根に飛び移り、屋根をそっと歩き、二人はそれぞれの部屋の窓へ到着する。
「おやすみ」
「おやすみ」
姉妹はそれぞれの窓から当たり前のように部屋に降りた。
赤と白の市松模様リノリウムの床がひんやりと、
アスファルトとは違う冷たさを足裏に伝える。
窓を閉め、カーテンを閉じる。少しだけ光を残すようにして。
足の裏は少しざらざらしている。
きっと真っ黒なんだろうけれど、ベッドの下の絨毯で擦って済ませて姉はベッドへもぐりこむ。
両親の寝室へと続く、部屋のドアの外の廊下は、
そのときの姉にとってどんな闇よりも暗く重く怖く悲しく感じたが、
外には私の帰る場所があるんだと、
少しだけ開けたカーテンの隙間から部屋をばっさりと斬る光を見て思う。
妄想を楽しみながら姉は眠りに付いたのだった。
次回決行は雪の月夜と決めていたが、それを待てるはずもなく、
私たち姉妹は、満月の夜中何の申し合わせもしていないのにも関わらず、
やはり時々同時に起きてしまっては窓から抜け出した。
その冬、確か雪は降らず、
結局姉が高校入学で家を離れるまで、姉妹のその散歩は続いたのである。
そして姉の方・・・、高校時代、大学時代と、散歩の相手こそ変わりはしたが、
その『散歩』をやめることはなかった。
雪は、私たち姉妹の待った雪は、とうとう降ることがなかった。

であるからして、月見ならば、
三日月や、満月の月光くらいで丁度良いのだ。
まともに月を、満月を見てしまったら?どうなるのかって?
ふふふ、そりゃもう仕方ない。
今でもまだこのクセ・・・いや、この性質に変わりは無いのだ。
日々それを強く強く確認している。
ただ子供の頃と違うのは、
自分の中に湧いた漠然とした恐れのような感情の理由が、
なんとなく解りかけたような気がしている、ということだろう。
解ったつもりにはなっていない。
そしてその記憶は受け継がれるものであることも確信しつつあるかも知れない。
ひとたびその強い光で変容が起こったら、もう二度と戻ることは出来ないのだ。
私の嫌いな精神世界の話ではない、これは現実だ。
妄想は現実の足元にも及ばない。
それ以上の追求はご遠慮いただきたい。
そして、
そんなに怖がることではないのだと、
あの頃の私と、こぼれ落ちそうなかぐや姫に言ってあげたい。

えー(二字不明)川に入るなって言われてもねぇ。(笑)